Chikashi Suzuki

鈴木親のスタイルと写真で残る記録。

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鈴木親は、パリから帰ってきてxx年。変わらぬ独自のスタイルで活動を続け、日本の型にはまらない稀な写真家だ。これまで何度か話を聞く機会があったが、豊富な知識とパリでの特別な経験を惜しげなく、楽しそうに話してくれるのが印象的。彼の話に夢中になることはもちろん、話題に挙がる国や人に自然と興味が湧き、もっと訊きたくなる。今日も写真、パリ、洋服と、彼ならではの見解で話を広げていく。

Photography by Reiko Touyama
Text by Aya Tsuchii
Edit by Akira Takamiya, Ayumi Kinoshita

 仕事を通じて多くの人と会う写真家・鈴木親は撮影で使う洋服だけでなく身なりやファッションルールにも鋭い。「昔はヨレヨレの靴下にボロボロのスニーカー、裾の破れたパンツを履いていましたが、そんな時でもコートだけは高いブランドのものを着たりしてバランスを保つようにしていました」。その際も当時のトレンドブランドをピックアップするのではなく、あえて王道のメゾンブランドのアイテムをチョイスして人目を引くのも彼のスタイルのひとつだったそう。「今は、昔よりも自分の身なりを気にするようになりました。当然、靴下にも気を配ります。洗うと色が落ちてしまう商品が多いので、よく買い換えますし、スーツを着る時にスネが見えるのは絶対にNGなのでロングホースもよく買います。最近は初対面の人との仕事も増えたのですが、どうしても第一印象は身なりで判断されるので気にしています。特にグローバルな仕事をする場合は、靴下から何から何までしっかり、洋服のコードを合わせることを意識するようにしています」。

 そのこだわりは、ヨーロッパで培ったファッションコードから来ている。「ファッションはすべての基準がヨーロピアンスタンダード。これは僕たちが生きている間に変わることはない。無名の小さなブランドが突然注目される場合でも、無理やり自分らしさを貫くのではなく、最低限度のファッションルールに従っていることが多い。着る洋服も一緒ですよ」。その考えは、今では広く知れ渡っているアーティストを間近で見ていた自身の洞察力から定義されている。「僕がパリにいた頃は、テリー・リチャードソンを始め、数多くのフォトグラファーやアートディレクターがパリに集まっていたんです。彼らの服装には独自のルールがあって。デタラメとドレスアップのミックスなんですよね。ちゃんとハズしつつ、いい服も着ていたり。あの頃のパリの人たちはトレンドに左右されていなかった。ヨーロッパの人は哲学を持っているから、従うべきところと、個性を出すところのバランスを足し引きがとても上手なんです」。

 彼が写真にのめり込んでいった経緯が気になる。どこかファッションの枠に収まらない彼のスタイルは、パリでの経験も影響しているが、何より現代美術に魅せられてきたから。「中学生の時に入院していた時期があったんですけど。入院生活が暇で、新聞記者だった叔父からフィルムカメラをもらったのが写真を始めたきっかけでしたね。その後、大学で知り合いから卒業写真委員会に入ればフィルムや機材を自由に使えるからと誘われて。色々な機材が揃っていたので、使ってるうちに楽しくなっていきました。あと、あの頃は日常的に現代美術の作家に出会う機会も多かった。そういった人を撮ったりして、写真のインパクトの強さに惚れてのめり込んでいきました」。そして、在学中にある写真家を知った。

 「ある展覧会のカタログのカバーがすごく好きだったんです。そのカタログにはマルタン・マルジェラのドキュメント写真が載っていて、後ろのページにそれを撮った人の名前と在住場所が書かれていて、アンダース・エドストロームというスウェーデン人でパリ在住の写真家だとわかった。それでまずはフランス語だと思い、語学学校に通い始めたんです。社会人も通うようなところで、ある生徒に『なんでここに通っているの?』と聞かれたのでこの話をしたら『俺の奥さんが知り合いかも?』って。そしてその写真家の連絡先をくれたんです。すごい運ですよね」。その連絡先を頼りにフランスに渡った。「まず彼のところに行きました。そしたらすぐに仕事をしたほうがいいと言われたんです」。そして大学卒業後、趣味で写真を撮っていた彼は海外でキャリアをスタートさせた。「彼が連絡を取ってくれた編集部が『Purple magazine』(以下、Purple)と『Self Service』でしたね。偶然にも、きっかけとなったカタログの展覧会のキュレーションをしていたのもPurpleでした。25歳くらいの時かな」。


 彼の現場は多くのファッションフォトグラファーと異なり、モデル、洋服、ロケーションと、撮影にまつわるすべてのことを可能な限りコントロールしていくスタイルだ。シャッターを切る彼は、被写体のイメージ作り、全体のバランス、写真を見る人にどう印象付けるかなど、多くのことを計算した上で撮影に臨んでいる。そのスタイルの基盤を作ったのはPurpleでの経験だ。「今考えればPurpleという雑誌は、アート系のフォトグラファーにファッション撮影頼むことが多かったのもあって、そのやり方はハチャメチャだった。ブランドから撮影する洋服を直接フォトグラファーへ送り、あとは写真家に任せていた。スタイリストやモデルのキャスティングからロケーション選びや撮影ディレクションまで、全部写真家が決めるスタイル。僕が忘れられないのは、ある日マルジェラに会ってきてって言われて、何も分からずアトリエに行ったんです。そうしたら突然『どうやって撮影するの』って聞かれて。悩んでいると『考えなきゃダメだよ』って怒られて」。そうした当時の撮影方法が彼の現在のスタイルの原点だと話す。彼は、エレン・フライスやアーロン・ローズ、ハーモニー・コリン、さらにディオール・オムのデビューショーでのエディ・スリマンの様子など、当時のスナップ写真を見せてくれた。他にも一流モデルやデザイナー、スタイリストといったクリエイターに囲まれて生活していた彼は、日本に帰国してからなかなか馴染めない歳月が続いた。

 「今でも僕の写真はファッション業界の人からするとちょっと違うと思われることが多いし、美術系の写真業界にも入らない」。そう分析する彼は、常にファッションフォトを撮っているという意識ではなく、ポートレイトを撮る意識でシャッターを切っているという。そんな独自のスタイルを確立している彼は、「ドキュメントの作品を見ていると、人物を撮ることでドキュメント作品として成立するし、ポートレイトでもあり、それにファッションの要素もある。これが一番いいんじゃないかと思いました。ファッション写真といえばピーター・リンドバーグみたいなとても豪華なイメージだったけど、あのマルジェラの写真はアートの延長であり、仕事としても成り立っていた。自分で被写体を選び、洋服やシチュエーションをコントロールする理由はその考えがあるから。大変ですけどね。でもその分強度のある写真が撮りやすい。ファッションの要素を抜いても後で使えますし。

 話が戻るけど、初めて感動したカタログには、マルジェラのドキュメント写真は載っていたけど、他のアーティストはヴォルフガング・ティルマンスやドミニク・ゴンザレス・フォスターといった作家が参加していて、完全に現代美術の展覧会だった。それに、僕が初めてかっこいいと思った写真は、ティルマンスがエリザベス・ペイトンなど現代美術作家たちを使って撮っていた写真だった。あれはファッションじゃなくてアートだった。国内ではどこにもピタリとハマらない僕の写真だけど、海外のファッション誌で日本のフォトグラファーを起用するとなると、よく名前が挙がるのが森山大道、荒木経惟、篠山紀信、川内倫子、ホンマタカシなど。そこに僕も入れてもらえているからいいかなと思えます。その人たちがファッション誌をバンバン撮っているかというと撮っていないですよね」。



 鈴木親はこれまで、菊地凛子や安藤サクラなど、個性豊かな実力派女優や俳優、モデルを多く撮ってきた。彼のインパクトの強い写真は、彼らが潜在的に持つ、内面の魅力を映し出している。写真を撮ることを「紡いでいく作業のよう」と例える彼は、直感で感じる特別な感情を頼りに、記録するように撮り続けている。「染谷将太くんや安藤サクラさんを撮り続けてきたけど、彼らの子供が育って、またその時その時を残して、そして新しい関係性が生まれていくんだろうな」。中でも最近の一番心に響いたのは樹木希林さん家族との出来事だと思い出を振り返りながら話してくれた。「樹木さんは面倒見のいい人で、僕も若い頃からとてもお世話になった。まず、1998年のスーザン・チャンチオロの東京での初めてのショーのオープニングで内田也哉子さんと知り合いました。その頃から付き合いが始まり、マルジェラの撮影でご家族を撮らせてもらったり。よくよく考えると、被写体としては普通に頼めない人。でも也哉子ちゃんが頼んでくれて。撮影の後、ご飯までご馳走になっちゃったんです」。そして先日モデルデビューした内田雅楽の初めての撮影を任されたのも鈴木親だった。「あれだけお世話になったから、雅楽が何かやるってなったら何か僕が手助けしてあげたいなって。もちろん雅楽に才能があるっていうのは大前提にありますけど。10年ぶりくらいに彼に会ったら身長が190cmくらいになっていて驚きましたよ。一緒にご飯食べたりパーティー行ったり個人的な相談にものっています。近所のおっちゃんっていう感覚なんでしょうね(笑)」。

 “縁はずっと続くし、紡いでいく”という彼の言葉が心に響く。「写真家は人や誰かのモノを撮って、お金にしているわけだから、何かで返す必要がある。その人たちのいい部分を出したり、他の人とは違う部分を出したりしてあげたい。他の人たちが写すことのできない、違う側面が出るように常に意識している。イメージ付けの時にいい仕事が来るように、服やスタッフィングを考えていく。被写体は装いと一緒で、こういうチームで、こういう仕事をしていて、こういう媒体に出ているっていう第一印象で見られる。なので、なるべくいいところでスタートすればその後うまくいきやすい」そうやって彼はこれからも写真を撮り続けながら、写真に残すという形で彼らの歴史を紡いでいくのだろう。

CHIKASHI SUZUKI/鈴木親
写真家。1998年渡仏。仏雑誌『Purple』にてキャリアをスタート。ファッションを軸にしながらポートレイト等でも独自のカラーを模索し続けている。主な展覧会に、1998年Colette(フランス/パリ) 、2001年LA MOCA(ロサンゼルス/アメリカ)、2009年G/P gallery(東京/日本)、2018年KOSAKU KANECHIKA(東京/日本)。
chikashisuzuki.net