Chiharu Dodo

百々千晴が提案する究極のシンプリシティー。

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スタイリスト、ブランドディレクター、編集業に加え、本の出版も控えている百々千晴。ファッション界での幅広い活動は飛ぶ鳥を落とす勢い。2児の母でもある彼女は、出産後7か月でスピード復帰したり、仕事場に子供を連れて行ったり、パワフルなエピソードも満載だ。忙しい毎日を過ごしているが、どこか力の抜けた一面も魅力的に映る。

Photography by Reiko Touyama
Text by Aya Tsuchii
Edit by Akira Takamiya, Ayumi Kinoshita

 「仕事はなるべく夕方までにしてもらうなど、工夫して遅くならないようにしてもらっていますね。夜は結構早く寝ています。子どもと一緒に寝ちゃうことも」と働く母としての顔をちらつかせる百々千晴。仕事や子育てに加え、「毎日決まった時間にトイレ掃除をする」と、自分のルールを大切にしていたり、「テクノロジーの発展と相反して、人間が本来の感覚を取り戻そうとする話が好き」と人間の本質を問う話で盛り上がったり。または自由な発想や斬新なアイデアにワクワクしたり。「LAやNYに住んでみたい。アメリカの人たちはみんな新しいもの好きで、変化を好む人種。そういう場所で子供を育ててみたい!」と茶目っ気が溢れている。代々木の異国情緒溢れる隠れたレストランで、肉料理を楽しみながら彼女のこれまでの経緯や仕事、ライフスタイルなど、興味深いことをランダムに聞いてみた。

 多忙な毎日を送っているのにどこか抜け感もある、メリハリのある生活スタイルは今すぐにでも見習いたいと思わずにはいられない。なぜそんなに多くのことをこなせるのか。「料理をしながらスタイリングを組んだり、一度に複数のことを同時進行しています。効率よく動いているかな」。そもそも好きなことを仕事にしているので仕事と休みの気分の境目があまりないのだとか。「だから家とオフィスを分けるとか、絶対にしないの」。ファッションスタイルだけでなく、仕事も子育ても、とにかく全てに無駄がない。スキンケアは海藻から出来ているオイルのみを愛用し、メイクはエトヴォスのハイライトと眉毛を描くのみ。そしてストレートな言葉の数々からも無駄を排除した彼女の究極のシンプリシティーが感じられる。

 ファッションに興味を持った経緯は、幼少期まで遡る。母親や友達の影響が強かったようで「母は大阪モード学園出身で、私は小さい頃から母の着せ替え人形でした。朝起きたら着る洋服が用意されていて。だから、初めて友達の家に泊まりに行ったときは衝撃を受けました。今日着る服を自分で選んでいいの!?って」。中学生のときに雑誌を読み始め、ファッションに関することやスタイリストという職業も雑誌を介して知った。「部活の先輩が『Seventeen』を読んでいて、刺激を受けたの。高校生の時はの服を買いに高松までバスに乗って行ったりしていましたね」。なかでも当時全盛期だった『CUTIE』は人生を変える大切な雑誌だった。「ソニア・パークさんが誌面に出ていたんです。本人がコラムを書いていたのですが、それを読んだ時、“こんな職業があるんだ、私もスタイリストになりたい”と思ったの」。服はずっと好きだったと豪語しつつ、「絵を描くのが苦手だから。既存の洋服を使って表現したかった」と、目指すところはデザイナーではなかったようだ。

 スタイリストを夢見て高校卒業と同時に東京に上京し、バンタンのキャリアコースに一年通った。そして、師匠のスタイリスト野崎美穂と出会う。「私の地元にはサーフィンが有名なスポットが沢山あり、サーファーも多い。あるレジェンドサーファーの奥さんが編集経験のある人で、雑誌『GINZA』の編集者を紹介してくれたんです。その方がよくサーフィンに連れて行ってくれました。あるとき、アシスタントに就きたいと相談したら、野崎さんを紹介してくれたんです。野崎さんには3年間お世話になりました」。過酷なアシスタント業は、土日や早朝の撮影、準備や返却作業など幅広く、百々はとにかく働き詰めだった。そんな3年間を経てある不安を抱くように。「19歳や20歳の頃、みんなクラブとかで夜な夜な遊んでいた。もちろん私は仕事で参加できなかったけど。何か大事なものを逃しちゃっている気分だった。このまま日本で、遊び方もわからないままスタイリストになるのが嫌でした」と当時を振り返る。そこで彼女は海外に行くことを決意し、2002年に渡英した。目的は適当な暮らしをすること。「スタイリストとしての活動は一切休止して、撮影の手伝いなども行わず、ダメなやつになろうと。語学学校に通い、バイトもしていたけど、“今日は雨が降っていて気分がのらないので休みます。”とか言ってサボってみたり(笑)。旅行にはよく行っていましたね。格安航空の深夜便とかで、本当に色々な国に行きました」と、日本でできなかった生活を海外で実現させた。

『Union Magazine』を共に手がけているHiroyuki Kuboとの出会いもロンドンだった。「友達だったけど、よく遊ぶようになったのは帰国後なの。彼も私も中目黒に住んでいて、こんな雑誌を作りたいという話の流れから実現させた」。出版不況の中、インディペンデント誌も厳しい状況だが、『Union Magazine』は創刊してから7年が経つ。「まずは続けることが大事だと思っていました。インディペンデントな雑誌は色々な事情ですぐに終わってしまうことも多い。続けていれば、いつか誰かが面白いと思ってくれるだろうと思っていましたね」。バランスのとれた関係性も長続きの鍵だろう。フレキシブルにスタイリングを心がけている彼女は「例えば広告の仕事をしていたら、クライアントの意見を尊重して、満足のいく、いいものを作りあげたい」と相手に寄り添いながらその中で自分の提案を出すスタイルだ。「Kuboは自分のスタイルがあって、それを貫きたい人。私たちは真逆の性格なので、うまくやっていけるのかも。彼のスタイルが好きで一緒にやっているので、任せていることが多いです」と信頼関係の深さがうかがえる。「私とKuboに共通していたのは自由な雑誌を作りたいということ。アイテム選びにこだわりすぎるのではなく、もっとクリエイティブでストーリー性にこだわった雑誌を作りたかった。だから毎号掲げているコンセプトはなく、“タイムレス”が『Union Magazine』のコンセプトです。ファッションは今シーズンのものを使っているんですけれど、いつどの号を見ても廃れないページ作りがポイントになっています」。2人の絶妙なバランスと経験、そしてベースにある面白い雑誌の概念が、ファッションという枠にとどまらない独創的な雑誌作りの中核にあるのだ。

 ライフスタイルでハマっていることを聞くと、「もちろんデニム」と即答。というのも、デニムに関するスタイルブックの発売を目前にしているのだ。「 “3種類のデニム”がテーマです。私は普段からシンプルな格好が多いので、デニムを使ったシンプルスタイルを伝えたくって。デニムはたくさん持つ必要がないアイテム。3種類あれば十分なんです。体系別でオススメしたり、着まわし方法など、いろいろな使い方を紹介していく内容になっています」。彼女の3本は「Levi’s」公認のリメイクブランド「RE/DONE」と「Ron Herman」のハイウェストスキニー、もう一本がブルーのリジットデニム「SERGE de bleu」だそう。ありそうでなかったウィメンズのデニムブック。幅広い女性の参考になることは間違いないだろう。

 そして次に彼女が挙げたのが『食』だ。「食べ物は気にしています。モデルさんをはじめ、健康を気にかけている人が周りに多いので、悪いものはなるべく口にしないようにしています。仕事で夜が遅くなり、ご飯を食べ損ねちゃうこともありますが、レトルトを食べるくらいなら食べずに寝る。だから痩せちゃいますよね。ジムに週に1度通っているのですが、トレーナーから食生活のアドバイスをもらっています。お肉は食べるようにと言われていて」。今日の肉祭りランチにも納得だ。

 そんな彼女が今チャレンジしたいことを尋ねると「たくさんあります」と答えた。「Tシャツブランドをやりたいし、キャンドルブランドも立ち上げたい。あとはドレッジングの開発。オイルの大切さや、成分、栄養バランスなど、細かな知識があるので生かしていきたい。“このドレッシングを使えば美味しいし、安全だし、健康!”といったプロダクトを作りたいですね。あとは宿のプロデュース。仕事で様々な国に滞在させてもらっているので、その経験を生かして、私自身が泊まりたいと思える宿を都内近郊に作りたい。いいホテルに泊まるとリフレッシュされて心が豊かになるので、そういう場所を提供したいな」と、自らの経験を生かした、ファッションとは離れた答えがまた面白い。次は何を始めるのか。彼女の話を聞いていると、不思議とワクワクした気分になるのだった。

CHIHARU DODO/百々千晴
2002年に渡英し、2004年に帰国。その後、東京をベースにスタイリスト兼「Union Magazine」の編集長、ブランドディレクターとして活躍している。
dodochiharu.com